こんな真夜中でも月が出ていると明るいもんだな。見ろよ、石畳の上に影が伸びてる。 せかすなよ、ちゃんと話すって。だから黙ってついてこい。 お前の想像のとおり、情報を売って双頭の鷹を裏切ったのは私だ。 私はトリスで捕まって、この街の牢獄へ入れられた。同じように捕まった鷹の連中も何人かいた。殆どはトリスの街で斬られたけど、シャニフの姿はどこにも無かった。 牢にいた頃を今でもたまに思い出すよ。水の腐った匂いと、生ぬるい空気が淀んだ暗闇を。その中に死んだ魚のような目をした自分がいる。 どれくらいその牢にいたのかはわからない。牢は日の光の入らない地下にあったから、一日の始まりと終わりを知ることができなかった。 私の右手には百合の花が焼き付けられた。死刑囚に押される印だ。 死刑を宣告されたところで、死に対する恐怖など湧いてこなかった。むしろ、苦しみから解放されるために、その日が一日でも早く訪れることを願っていた。 血と汚物がこびりついた石の上で、繰り返される拷問に耐えることが苦しみなのではない、生きることそのものが苦痛だった。 眠るたびに蘇る忌まわしい記憶に、胸をかきむしって泣き叫ぶことに比べたら、死というものの、なんと安らぎに満ちたことだろう。 壁に背中をつき、折り曲げた膝の上に顔をうずめていると、床の上を硬い靴音が近づいてきた。音の主が持っている松明の明かりが暗闇を押し退けて進んでくる。 靴音は私のいる牢の正面で止まり、金属をこする不快な音を立てて鍵が外された。 感情のない男の声に背中を押されて、一人の人物が牢に入ってくる。私と同じくらいの年頃の少女だった。 視線がぶつかると、少女は顔を強張らせて立ちすくんだ。 私は再び、膝に顔を埋めた。もう誰とも関わり合いたくなかった。そうすれば、傷つけることも、傷つけられることもない。 看守が去ると、暗闇の中で少女が隣に腰をおろすのが気配でわかった。 「痛くない?」 ためらいを帯びた声に返事はしない。会話を拒絶する意思を沈黙が伝える。 「痛いに決まってるよね。わたしもそんなふうにぶたれるのかしら」 ぶたれるに決まってる。そう思ったが口には出さなかった。ここに入るという事は、何らかの罪を犯したはずなのに、少女のとぼけたような口調は罪人の持つ暗さがない。その事にひどく苛立ちを覚えた。 「どんな取り調べをうけるのかしら。盗みの罪って早く出られる?」 黙ったままの私など構い無しに少女は喋り続けた。 「この街では、もうすぐお祭りが始まるんでしょう?終わるまでに出ないと。私、ここに来たの初めてなの。と、いうかロアールに来たのも初めて。あなたはお祭り見・・・」 「黙れっ!」 私は少女を床につき倒し、その上に乗ってか細い首を絞めた。 「・・・やめ、て・・・」 少女は苦しげにもがいた。首を絞める私の腕に爪を立て、なんとか逃れようとする。 いっそこのまま殺してしまおうか。そう思いながら、徐々に力を加えていった。 ・・・睨むなよ。殺してないって。あいつだって悪いだろう?人が深刻に苦しんでいる横で、ぺらぺらと能天気に喋るんだから。腹も立つだろう? しかも、うるさくしないと言うから手を放してやったら。少し後には、ころっと忘れて喋る喋る。怒ったって、殊勝にしているのはその時だけで聞きやしない。 あいつが来てからは目が覚めてから寝るまで、一日中話しを聞かされて。おかげで私は深刻に悩むこともできず、眠る時にも話しを聞かされ続けた疲れで、夢も見ずにぐっすり寝たよ。 そんな日が何日か続いて、私は少しずつ掛けられる言葉に答えるようになっていた。 あいつの故郷はシュトゥラルドなのだと話してくれた。自分は神官で、この街の神殿に仕えるためにやってきたのに街に着くなり泥棒と勘違いされて牢にいるのだと語った。 盗まれた品がバックの中から見つかって、説明しても聞いてもらえないと怒りながら言う。 疑いが晴れるまで我慢するんだな、と私は言ってやった。 話すようになったとはいっても、やはり、大半はあいつが喋っていた。故郷から見えるトロス山脈の山並みがどれほど美しいか、冬の寒さがどれだけ厳しいものか。ドワーフのごつい手が作り出す装飾品の見事なことや、ヴァレンで勉強している弟が泣きむしだから心配だとか、たわいもない話を幾つもした。 昔の夢にうなされた時、闇の中から柔らかい手が伸びてきて私の手を包んだ。温かいものがそっと心に触れる気がした。 時折、聖歌も歌っていた。光が零れ落ちるような音色に、声を殺して泣いた。 もっと早く会いたかった。会っていれば、私は日のあたる道を歩けたかもしれない。それが、自分のしてきた行いに対する言い訳なのだとわかっていても――― 私は愚かだった。 母だって辛かったに違いない。母として、私を愛したかった。でも愛せなかった。愛さなければともがき、苦しんだ末に壊れてしまったのだから。 母を愛していたがゆえに、答えてくれなかった母を、私は許せなかったのだ。 憎しみに手を引かれるままに奪ったものを思うと、胸がやぶれるような思いがした。 ごめんなさい。 ごめんなさい。 子どものように泣きじゃくって、泣きつかれて眠って、目が覚めた頃には胸の奥にわだかまっていた憎しみが流れ、荒れた大地が心の中に広がっていた。草木の絶えたひび割れた大地に、ようやく一筋の光が射していた。 それから私とあいつは友人のように様々な事を話し、笑いあい、猫のように寄り添いあって眠りについた。 そして別れの日が来る。あいつは光りの射す場所へ、私は絞首台へと歩いて行かねばならない。 <back >next menu |