| 【 3 】 どこに行ったらよいのか。 説明を終えたアレグリアは、そう言いながらも村を出ることはこの時すでに決意している。 行き先を決めずに・・・決められないままに。 一刻も早くこの場所から逃れたくて、 バタバタとした準備が一段落した今、途方もない寂しさが押し寄せてきて、アレグリアは今こうして風と共に夜を明かさんとしていたのだった。 「もうだいたいの準備は済ませてあるんだ。行くところないから、船に乗って、大陸に渡って・・・大陸の向こうって、どんな世界か知ってる?カイン」 事情をきちんと聞いてくれたのが嬉かったのか、アレグリアは少しだけ苦しみが和らいだような気がした。 そうだ。昔は何かあっても、ディアノフとカインが助けてくれた。いつでも味方だったし、いつまでも味方だと信じている ・・・信じて、今この瞬間に、彼に何を求めてるのかはアレグリア自身もわからないけれども。 話をしながら、双方顔を合わせていない。だから、アレグリアは気付かなかった。大陸を出て行くと知った瞬間の、カインのその表情を。 「・・・俺も向こうには行ったことがないからわからないけど、興味はあるよな、確かに」 カインにもエルフの森での微妙な立場がある。 それが心を縛って、素直に行くなとも、森へ来いとも、ましてや共に行く、なども言うことができない。 それでも黙って見送ることなどどうしてもできかねて、カインは自分の本音を隠すずるさを知りながら、こう言った。 「ディーが寂しがるぞ」 カインが成長して故郷の森で置かれるようになった立場は、実のところそう簡単なものではない。すべてではないにせよ、森をまとめ、導き、さまざまなことを考えなければならない、今のカインはそういう地位にいた。今カインが一番大切だと思うのものも、故郷の森をおいて他にない。 だから人の血を引くものを、安易に森に呼んではならない。わずかながらもそんな呪縛が、カインにもあったのだ。 「・・・うん、わたしも寂しい。二人に会えなくなるのは・・・」 でもここにはいられない。 ・・・森にもいられないでしょう? だから・・・ カインの立場を、彼女はよく知っている。個人的な感情にまかせて、声にすることはとうていできなかった。 カインもほとんど本能で、彼女の寂しさを、孤独を感じ取った。・・・そして、それにどうしても応えられない自分がどうしようもなく歯がゆくて、やっぱり何も言うことができなかったのだ。 お互い言うべき言葉を閉じこめてしまった沈黙の時間が、アレグリアの背中を押した。カインを困らせるのは本意ではなかった。 「一週間後、風月の1日の朝に、シュトラルドへ行く船が出るらしいんだ。それに乗って、海を渡るよ」 楽しい思い出の時間は二度と流れない。でも、それを覚えていることだけが、今のアレグリアに残された唯一の宝だったのかもしれない。だから、あの楽しかった頃の面影を重ねて、いつまでも大好きだった幼馴染の顔を覚えておこうと思った。・・・そう思ったら、素直に微笑えた。 「あんまり仏頂面ばかりしてちゃダメだよ。口数少ないから、怖く見られちゃうからね。たまに会ったときくらい、ディーと喧嘩しないようにね。あ、そうだ。ディーにも行く前に挨拶しなきゃ」 「アリアも、船に乗るのはいいけど酔うんじゃないのか?」 「え、やっぱり気持ち悪くなるの?乗ったことがないから、少し心配なんだよねー」 「小さい船のほうがひどく揺れるからな。なるべく大型船を選んだほうがいい」 「うん、わかった。そんなに遠くないから、あまり時間もかからないだろうし大丈夫だと思うけどね」 そう、戻ってこようと思えばいつでも帰れる場所だ。 でも二人とも知っている。海を渡ることは、両者に決定的な壁を作ることになると・・・なぜか、という理由ではない。一人は森を選び、一人はそこに入ることができなかった。分かたれたその事実だけが、二人をがんじがらめにする。 それを知りながら、アレグリアは言った・・・風のあるところが、私の在るべき場所。そう心に言い聞かせながら。 「元気でね」 「・・・アリアもな」 そうして、枝から一息に飛び降りて駆け出す。視線に気づいているアレグリアは、決して振り返らなかった。 立ち止まらないために。これ以上思い出に還らないように・・・。 よく晴れた朝だった。 彼女には珍しいものに感じられる、潮の香りのする風を全身に浴びて、腕を背中に回して大きく伸びをする。見上げた空の色は海の色に等しいほど、澄み切った深い深い青がどこまでも続いていた。 「アリア!」 「・・・・・・ディー!? どうして」 「今日行くって聞いたから・・・・・・そりゃ見送りにくらい来るさ」 アレグリアよりも一回り小さく、一回り頑丈な友人が、屈託のない笑顔であっけらかんと「水臭いな」と言う。 港は、出航を前にして荷物が次々と運び込まれたり、人々が行く者と残る者とに別れて最後の言葉を交わしていたりで、不思議な活気に満ちていた。 「ホントに行っちゃうんだなー」 「仕方ないよ。もしディーの家に行っても、頭ぶつかっちゃうもん」 それを聞いてディアノフも豪快に笑った。 「行くのやめろよ、って言っても聞かないんだよな」 「うん、もう決めたし。今更変えられないよ」 「うん、こっちも未練で言ってるだけだから気にするな」 そんなことをさらっと言う幼馴染の表情に、裏表はない。こんな風に笑って見送ってくれる相手を心からありがたいとアレグリアが思っていると、ディアノフはなにやら胸元をごそごそと探り出した。 「あれ? どこしまったかな・・・」 「どうしたの? 探し物?」 「いや、ちょっと餞別を・・・ああ、あったあった。ほれ」 「・・・うわぁ」 それは小さくはあったが、アレグリアが見てもかなりの値打ち物だと評価できるような、丁寧に銀細工の施された、手のひらサイズのカラクリだった。 「ここのネジ、回してみな・・・・あ、いや。後にしたほうがいいな。ここをこう、ゆっくり右回りに回すんだ。面白い仕掛けになってるから。船の中でのお楽しみな」 「これ、ディーがつくったの?」 目を見開いて、手のひらのそれを細部まで覗き込もうとする。恐ろしく凝っている意匠だけではなく、隙間からわずかに覗き見える中のカラクリも、相当細かい仕事だ。どんな仕掛けか、はじめて見るアレグリアにはまるで想像もつかない。 幼馴染はアリアの想像していたよりも遥かに優れた、超一流の職人に成長していた。 「俺は今、そういう物を作って生活してるんだ。一つ一つにひどく時間かかるけど、上手く仕掛けが作れたときの喜びったら最高でね」 屈託なく笑う笑顔と顔を合わせてアレグリアは初めて、幼馴染の顔にひどい隈ができていることを知った。彼女が故郷を離れることを知ってか今日までの短い間で、ろくに夜も眠らずに作り上げたのだのだろう。 かけがえのない友としての想いが、小さな小さな仕掛けにぎっしりと込められているのを感じて、アリアの両目から思わず涙がこぼれる。彼女よりもさらに一回り小さい身体に腕を回して、そのまま、泣いた。 「・・・ア、アリアっ・・・!?」 とてもうろたえた声は、もう成長してしまったドワーフの職人のものではない。アレグリアがいつまでも知っている幼馴染の、気丈な少年の声色だった。 「・・・ディー、ごめん・・・・りがと・・・・」 耳元でかろうじてそう呟くアレグリアに、ディアノフはやがて落ち着きを取り戻し、大きく息を吐くと彼女の背中を優しく叩いた。 「たまには帰ってこいな」 「・・・うん」 「エルトリアに戻ったら、ちゃんと俺かカインには知らせろよ」 「・・・うん」 「森には来なくても、俺たちがこう、ちょっとくらい山から下りてくることくらいはできるから」 もちろんディアノフはすでにおおまかの事情を知っている。アレグリアの寂しさや切なさなど百も承知だった。森でなくてもいい、俺やあいつがいるんだから、帰って来いと伝えたかった。 俺たちを思い出せと。ディアノフはその想いを、精一杯小箱に込めた自信はあった。その真っ直ぐな気持ちがアレグリアの心の中を快く吹きぬけて、救われた気持ちになった。 「・・・うん、ありがと」 その時。港にひときわ大きい鐘の音が何度も打ち鳴らされた。荷物の積み込みが終わり、間もなく出航する合図だ。ディアノフの腕の中でアレグリアはかなりためらったが、やがて身体を離して、何とか笑おうと試みる。 「カインに会ったらよろしく言っといて・・・元気でね」 「アリアも、旅は危険だから無理はするなよ」 「うん。いつか帰ってくるから、その時はきっとまた会おうね!」 カインには言えなかった言葉が、素直にこぼれでた。満面の笑みで迎えてくれる友人がこうしているなら、いつかまた帰ってきたいと正直に思うことができた。 「ああ、絶対だ!」 ・・・アレグリアの乗りこんだ船が、徐々に陸から遠ざかってゆく。 彼女が身を乗り出してディアノフに向かって手を振るのを、同じ仕草で応えながら、その姿が見分けもつかないほど離れゆくのを確認すると、ディアノフはなぜか突然気配を変え、少し苛立ったように周囲を見回した。 旅立つ船を見送る人々がごった返す中に、彼の求める姿はない・・・ディアノフにアレグリアの旅立ちの日時を知らせた、彼と共に彼女を見送るべき肝心の人が。 しばしその場で憤りを感じていたディアノフだったが、やがて肩で大きくため息をつくと、とぼとぼと帰路についた。 あいつが見送りに来れなかった・・・その気持ちはわからないでもない。 アレグリアが、どうしてもここを離れなければならなかったように。 だが・・・ 懐かしい時間に思い出を馳せながら、哀惜のようにも、救いを求めるようにも聞こえるような声で、小さく、弱く呟く。 「・・・・あんの馬鹿野郎が・・・」 <back next> menu |