| [ 3 ] 白装束の女性は紛れもなく桐子(とうこ)だった。彼女の目もとは、かなり泣き腫らしたのか、ひどいくまができている。そして、何にもまして彼女の視線は冷たく、感情がこもっていないように見えた。 桐子は袖から白い鉢巻きを取り出して自らの頭に巻くと、冷たかった目つきが急に熱い怒りの表情のこもったものへと変わっていく。その後、一瞬薙刀を正面に構えたと思えば、金切り声にも似た叫び声を上げながら猛然と斬りかかってきた! 「きゃあっ!」 観衆の中の女性が短い悲鳴を上げた。直後、鈍い痛みが左肩口を走る。左肩部分の衣服が切り裂かれ、そこからじわりと血が流れ出てきた。 幸いなことに、斬られる瞬間とっさに後ろに退いたので、傷は比較的浅くて済んだが…。 この時、初めてこの状況を理解できた。 仇討ち、そして返り討ち、桐子の白い装束。今の状況は紛れもなくどちらかが死なないと生きることが出来ない。それは決まりだった。 この国、「倭国(わこく)」では、西方で決闘が法律で許されているように、故人の遺族が恨みを晴らすため、「仇討ち」が認められていた。自分の肉親を明らかに殺した証拠や証人がいれば、お上はその情状を吟味した上で、役人の立ち会いのもと、公の場での殺人が許される。特に、誇り高い武家の者にその許可が下りることが多くあった。 しかし、殺人が許されると言っても、武家の者が武器を持たない丸腰の者を斬ることは卑怯な行為だと思われている。そこで、相手にも対等な条件で勝負を決めさせる方法が最も正々堂々としていて、武士道に反しないので、この方法での仇討ちの許可が多く下りたのである。 この仇討ちはどちらかが死ぬまで終わることはない。もしこの場を逃げれば、役人が代わりに罪人を処刑する事になっている。 桐子は武家の娘である故、薙刀の扱いによく慣れていた。刀より遠い間合いから繰り出す一撃一撃は、戦意のない正太郎を確実に壁際へと追いつめていく。 正太郎は、勝負に勝てば生き長らえるとは言え、そのために桐子を殺すつもりなどないので、刀も抜かずに逃げ回っていた。 「正太郎様…、どうか刀を抜いてくださいまし…。」 桐子がつぶやく。白昼だというのに、まるで幽鬼でもみているような不気味な感じがした。 「どうした楠、刀を抜かねば生きる意志はないと見なし、即刻斬り捨てるぞ!」 役人の一人が怒鳴った。その手は腰に佩(は)いた太刀に伸びている。 どうして、桐子は俺をこんな形で殺そうとしているのだろうか?それとも、俺に殺されたがっているのだろうか? …それはない。さっきからこちらに注がれる視線は、明らかに殺意のある憎しみのこもったものだ。 ついに正太郎を壁際まで追いつめた桐子は、甲高い掛け声とともに渾身の突きを繰り出してきた! 桐子の必殺の突きは正太郎の右頬をかすめ、屋敷の壁に突き刺さった。正太郎は桐子の脇を通り抜け、仕方なく刀を抜き放った。 それを見た役人達は、とりあえず太刀に手をやるのをやめた。仇討ちという名の殺し合いは、今ようやく始まったのだ。 (どうして、突きの直前にわざと掛け声をあげたんだ?) 正太郎が冷静に考えていると、こちらを見つめていた桐子の表情に変化があった。 「…それでいいのです。わたくしは父上や貴方がいなくてはとても生きてゆくことができませんから…。」 激しい怒りや冷徹な無表情などではなく、むしろ微笑んでいる。ついに気が触れてしまったのかと思ったが、静かに、寂しげに語る彼女を見て、そんな気はすぐに失せた。 (まさか、俺を生かしたいからこんなことになったのでは!?) 様々な疑念が脳裏を駆けめぐる。 (俺は保身のために義父を斬った訳じゃない!) (桐子にこんな思いをさせるつもりはなかった!) (今となっては悪いのは俺ひとりだけなのに、どちらかが死ななきゃいけないなんて!) 本当はこの場ですぐに刀を捨ててしまった方が、俺は楽になれただろう。でも、桐子はおそらくあの様子では俺が処刑された後に自害するつもりなのだろう。 (大事な人が死ぬのをこれ以上見たくない!) 口にすることができなかった。今までろくに話しかけなかった奴が、今更何かを言ったところでどうとなるはずがない。いつも肝心なところで肝心な一言が言えないのは正太郎の悪いところだった。 (もし桐子を斬ってしまったら…。) だいたいどんな今後が待っているかはわかっていた。 ある戦の後、ある武士が仇討ちに訪れた親子を返り討ちにしたことがあった。彼は人殺しをした上、のうのうと生きていると周囲の人々に日々罵られた。 その後毎日のように罪の意識に苛まれた挙げ句、彼は近くの山中でひっそりと首を吊って死んだ。 今が戦国の世ならともかく、天下泰平の世とまで言われているこのご時世に、人を殺して平気な顔をしていられるのは、戦国の世を生き抜いた武士達や悪党くらいなのではないだろうか。 桐子が死んでしまっては、生きる気がしないのは正太郎とて同じ事だった。血はつながっていなくとも、肉親であることに変わりはない。 …できれば以前のように平和で安穏とした日々を彼女と過ごしたかった。 しかし、もうそれは叶わない。なぜなら、先の戦で、自分の薄っぺらな正義感のおかげで義父を殺してしまったのだから。 気が付くと、先ほどまで寂しげな表情だった桐子が、今度は意志のはっきりした面持ちで対峙してきた。 何か大切な物を守るような、まっすぐな眼差し。それには怒りも混じっている。 (腹をくくったのか…?) それから繰り出してきた斬撃は、確実に首や脇、胸など、いずれも急所を狙ってきた。攻撃をかわすにも、だんだん辛くなってくる。 この状況があまりにも悲しすぎた。 (ここでどちらかが死んでも、結局どちらも死ぬことになる。そうなるのなら…いっそ…!) 桐子の薙刀が水平に薙ぎ払われるのと同時に、正太郎は体勢を低くしてそのまま一直線に駆け抜けた。そして、刀を振りかざして周囲の人垣の一角を散らすと、立ち止まり振り返ると、桐子に何か言いかけた。 「桐子…!」 やはり言えなかった。自らの中途半端な正義感と肝心な時に何も言えない不甲斐なさを痛感しつつも、それから逃げるかのように正太郎は街道へ向かって全力で走り出した。 役人達が一斉に馬に飛び乗り、追ってくる。 「…!!」 走る少年の背中に向かって泣きながら名前を叫ぶ声を聞いたが、彼は二度と振り返ることはなかった。 少年は心の奥で叫び続ける。 (生きて、生き続けていてくれ…!) 「桐子…。」 <back next> menu |