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おおむね、このようにして旅は続いた。
時には商隊とも組みながら、山を越えて、街を渡り歩く。
彼らには帰る場所などなかった。実家を出奔してきた者、戦火で両親を失った者、物心ついた頃から孤児であった者などそれぞれ事情を抱えていたが、互いに一座に入る前のことは知らない。その必要もなかったし、自分から語ることもほとんどなかった。
彼らはこのように気ままに旅をすることが好きで、客の前で芸を披露するのが好き。そして生活を共にしているのは家族そのものだ。そんなあたりまえのことが、彼らにはなにより大切だったのである。
ある日のこと。
「私もたまには「商品」持ちたいなぁ」
リザが唐突にそんなことを言い出した。他のメンバーにはその理由がすぐにわかった。次の出し物の首飾りは、長い旅の中でも目を見張るほどの極上品だったからだ。
宝石はダイヤモンド。しかしその大きさたるや、通常宝石商で金貨と換えるもののゆうに3倍はあった。加工してこのサイズなのだ、原石のころを想像するととんでもない大きさだっただろう。
ジューディスはそういったものに執着することはない。ただ、金銭的な価値がいかほどになるかという意味では、とても興味をそそられる。
こういった装飾品関係は、決まってジューディスが持つことになっていた。演目が、ジューディスが舞台中を飛びまわる踊りであるのに対し、リザはナイフ投げを得意としていたからである。それでは「客」に品物を見てもらえないのだ。
「リザが持ったら、商品をナイフ投げの的にしそうだからだめ」
「それは心臓に悪い」
ルイードの指摘に、すかさずライアスが同調する。品物を壊す心配はないのだが、すれすれでかわしそうなこと・・・リザならそれが狙ってできることを意味していた。たとえ腕前を熟知している仲間であっても、とても見ていられない、そんな限界を極めた技術なのだ。
リザはむくれたが、これはいつものことだ。
食事が終わるにつれ、各人が明日の出し物の準備のためテントをあとにする。
ジューディスが自分のテントに戻ろうとした時だ。いきなり後ろから手を捕まれて引き寄せられた。とっさに叫びかけた口も塞がれる。相手が仲間であることに気付いて、彼女は抵抗を止めた。
落ち着いた様子を見て、シグマが手を放す。そして改めて静かに、と手で合図した。
「・・・何事?」
「いいからちょっと見てみろ」
木陰から向こうがわを覗く。耳を済ますと声も聞き取れた。ルイードとリザだった。
「・・・そんなわけでオレの寝床、ウルに取られちゃってさ」
その口調を聞いて、ジューディスはすぐさま状況を把握した。確かに出て行ける場面ではなさそうだ。のぞき見とは趣味が悪いと思いつつ、少し様子をうかがうことにする。
「そんならあたしのテントおいでよ?」
リザは、いつもと同じようにためらいもなく誘いかける。
リザのルイードに対するアクションは「押して押して押しまくれ」だったが、それに応えてくれたことがなかったので、
「そうさせてもらおうかな」
とルイードが応えたときの、リザの顔こそ見物だった。ぽかんと口を開け、まばたきすら忘れたように目の前の男を見つめていた。なんとなく雰囲気を察して隠れたジューディスとシグマも、顔を見合わせて展開に驚いている。何しろルイードの堅物さといったら、一座でも無口のリナルドと並んで抜き出ていたのだ。
やがて顔を真っ赤にして俯いたリザを促して、二人の姿がテントに消えていったのがわかる。
わかるのだが・・・
「困ったなぁ」
ジューディスのテントは、まさにその隣なのだ。邪魔をするつもりはさらさらないが、だからといって自らのテントで安らかに眠れるような状況ではない。うーん、と悩めるジューディスに、シグマがいたずらっぽく訊いた。
「ジュディもオレんとこ来る?」
それこそジューディスは心底あきれた顔をして、一言で片付けた。
「なに寝ぼけたこと言ってんの? しょうがない。プリマのトコにでも行くか」
頭を掻いて立ち去る姿を見送りながら、シグマはやれやれといった表情で肩をすくめた。
翌日のお客さんも満員御礼状態だった。舞台もいつも通りに進んでいる。しいて言えば、わずかではあるがリザのナイフ投げにいつもの切れがない。ルイードと同じ舞台に上がると、その頬もわずかに紅潮しているように見える。その可愛らしい様子が、ジューディスとシグマにはなんだかおかしかった。彼女を動揺させた本人はというと、まったくいつも通りである。このあたりはさすがというべきだろう。
今日の舞台も無事に終わりそうだ、そう誰もが思った瞬間。
「ウル、どうした?」
すでに出番を終えたライアスが、相棒の様子がおかしいことに気づいた。 舞台袖から、客席・・・上のほう? 睨み付けて唸り声を上げている。敵愾心むきだしの様子に、ライアスも自然とその方へ注意を向けた。
と、何かが光った・・・そう見えたのも刹那のこと。それは一瞬の筋を残してライアスの視界から消えた。舞台の方に向かって!
「よけろジューディス!」
考えるよりも先に叫んでいた。狙われるのはおそらく「品物」を持っているジューディスではないか、 そう直観したのだ。
・・・客の歓声が、ざわめきにとってかわった。
突然の声で、飛んできた短剣を紙一重で避けた瞬間、ジューディスの顔は芸人の仮面を投げ捨てて、厳しい表情になっている。鋭い視線で観客席を見渡した。今までこんなことはなかった。
誰が? どこから!?
(客を動揺させてはならない)
我を忘れかけた彼女の背中越しに、静かな言葉が届いた。シグマの声だ。普通の観客の不安げな表情が、彼女の視界に戻ってくる。
一瞬で落ち着きを取り戻したジューディスの手の中に、花束が収まっていた。
それがいつ、どこから出てきたのかわからない客は、たった今の剣呑な雰囲気を置き去りにし、笑顔で花束を客席に放る彼女へ惜しみない拍手を送った。
そんな客に応えながらも、ジューディスは短剣が投げられた方向を今度はさりげなく注視する。立て続けに攻撃してくる気配はなさそうだ。それから舞台袖に目くばせし、危険を知らせてくれた仲間にも感謝した。
・・・あそこはVIP席。
もう一つの舞台のための席。
目的は今日の出し物なのか、それとも・・・・
さすがのピアザも苦い顔だった。全員が重苦しい表情でうつむいたまま、しばらく言葉もない。
「理由がわからないのがなにより辛いところだな」
「今日の落札者は?」
「たぶん、関係がない。ジュディとライアスがナイフの飛んでくる方向を見ているが、ベルモンド郷はまったく別の席にいた」
ジューディスは必死になって「その時」のことを思い出そうとしていた。
ナイフが飛んできた・・・避けて、上を見上げて・・・
その時、確かに誰かと目が合った。しかし、そのあとのシグマの声で我に返ったのだ。
あれはどんな奴だった?
・・・思い出せない。
「しかたあるまい」
ピアザが立ち上がって全員に告げた。
「早々にこの街を立ち去ろう。明日の予定だったが、今は一刻も早くここから離れるにこしたことはない。二時間後に出発する。ここから少し西に行けば、たしか半日くらいで小さな集落に出られるはずだ。その近くで野営にしよう」
誰も異存はなかった。
一行が街を離れて山道を小1時間も歩いたころ。
ギャン! とウルが叫び声を上げた。
即座に全員が荷物を投げて、テュリスを囲んで円陣を組む。テュリスの背には、すでに寝入ってしまったプリマがいた。
とっさに剣を抜いたライアスが傍らのウルを見下ろすと、足に矢が刺さっている。 怒りを覚えはしたが、生死に関わる傷ではない、そう判断して前に向きなおった矢先のことだ。
「ウルっ!?」
誰もが目を疑った。忠実な狼は切なげに主人を見上げ、弱弱しく一声啼いたかと思うと、口から泡を吹いてその場に倒れてしまったのだ。2、3度痙攣して・・・それもすぐに止んだ。
「おのれ・・・!」
「ライアス、いかん!」
怒りに我を忘れて、ライアスは単身、暗闇の森に突撃していった。 後を追いかけようとしたピアザを、横から制止したものがいた。リナルドは無言のまま首を振り、駈け出してゆく。
残された7人は息を殺しながら、互いを背に気配を探っていた。
なぜ気づかなかったのだ? これだけの殺気。 ざっと数えても20人はいそうものを!
まったく気づかれずに一行のあとをつけてきた。これだけの大人数が、完璧に気配を殺していたのだ。今となっては隠す必要もなくなったのだろう、押しつぶされそうな威圧感が彼らを取り囲んでいる。もはや「なぜ」などと、悠長に理由を考えている段階を超えているのは明らかだった。そして。
―――それは苦々しいまでの現実であり、確信であった。
とても勝てない。
「全員で突破するか?」
長い長い沈黙の後、ルイードが厳かに告げた。リザが怯えたように、あるいは傍らを守るように、ぴったりと恋人に寄り添っている。
ルイードの言葉は提案ではない。ひとつしかない選択肢への決断だった。すでに二人が戻ってこない。戻らない彼らを・・・認めるのはかなり口惜しいが・・・待つよりもまず、自分たちが生きることを考えねばならなかった。
「どこが手薄か?」
街道を離れている今、さらに山に分け入るのは大きな危険が伴うだろう。だが、この人数ではあまりに目立ちすぎる。
「・・・しばらくお別れ?」
ジューディスが意図を察してつぶやいた。 とりあえず包囲網の1ヶ所を破って突破した後、いくつかに別れて敵を攪乱させるつもりなのだ。
「落ち合う場所はどこにする?」
「そうだな。あの二人にも、言わなくてもわかる場所がいい」
「・・・あそこだね」
全員がそろってうなずいた。帰る場所ではないが、彼らにとって特別思い出深い場所がある。
「あとはどう別れるか・・・二手・・・いや、三つに別れるか。その方がわかりやすそうだ」
ピアザが雰囲気にそぐわないやさしい笑顔を向けた。ルイードとリザに、ジューディスとシグマに。そして最後に、己の妻に。
その笑顔にうなずき返し、彼らは改めて剣を構えた。
「持てるだけ、最低限のものだけ手に取れ。・・・行くぞ!」
そう言って、猛然と駆け出す。残りの者が後に続いた。