<2>

ヴァレン神聖王国。大陸の西方に、そう呼ばれる国がある。
神と人との国。人々はすべて信心厚く、神々は戦乱を厭い、平和を慈しむとされている。
アレキスは父のあとを追って、国の騎士見習となった。 剣を習い、馬をたしなみ、国に・・・教皇に尽くす。
教皇、それは畏敬すべき存在。 そう魂に教えこまれた。理由など必要なかった。
子にとって親が絶対なのと同じく、ヴァレンの国民にとっては神と教皇が絶対なのである。  

幼なじみでの一つ年上のリフィーナは、少し気の弱いところのあるアレキスと比べて快活明朗。病弱な母をよく助けて暮らしていた。 何かにつけて尻込みする弟分を率い、幼い頃は二人でずいぶんな無茶をやらかしたものだ。
森の中に良い薬草があると聞き、二人で探しに行ったまでは良いがそのまま道に迷ってしまい、途方にくれているところをアレキスの父に救い出されたこともある。 その一帯は、低級とは言え時折魔族が徘徊する場所だったから、二人の両親はかなり慌てたらしい。
街に帰ってきてから怒られたのは少女ではなく、むしろ少年のほうだった。次の日になって半分泣きながら少女が謝りにきたが、少年は「大丈夫だよ」と励ますように笑顔を向けた。むしろ誇らしげに。
めったにない少女泣き顔を見たからかもしれない。幼いながらもこの年上の少女を守るんだ、という子どもさながらの騎士道精神が芽生えたのもその時だった。
むろん、物心ついた頃からあこがれていた父の姿が、少年の心に常にあったためでもあろう。 いずれにしろ、環境も手伝って少年の進むべき道は明るく指し示された。 ・・・・・・はずだった。  

 

「なにを呆けている!」

直属の上司にあたるグリークが、重たい剣を振り下ろしながら叱咤した。 振り下ろした剣の先から、深紅の世界が広がる。 その声も顔も、この状況に微塵の疑問はない。ただ単に、アレキスの職務怠慢を非難している。
アレキスの前にいたのは、屈強な戦士でも、一家を守る大黒柱の男でもない。狡猾な魔法使いでもない。 おそらくはアレキスと同じくらいの年頃の、ただの少女だった。
身を守る武器は、おそらく台所からかろうじて持ち出したのだろう、手のひらほどの長さしかない包丁一本だけ。 こちらは全身を甲冑で覆い、得物はブロードソード。 この圧倒的なまでの状況下で・・・しかし、震えているのはアレキスのほうだった。
まるで似ていないのに、いやでも重なるグレーの瞳の明るい面影。長いブロンドの髪を無造作にバンダナでまとめて、いつもの調子で「何をやってるの!」と怒鳴るその姿が、青ざめた少女の後ろに見える。

叫び声、呪詛の声、剣戟の音・・・言葉にはできない、何かを切り裂くいやな音。

とうてい他の誰にも聞こえない部屋で、彼は救いを求めるかのようにある名を呼んだ。 そして精一杯の力を込め、表情を殺して、ゆっくりと剣を振りかざした。  

 

「お前はまだ、精神面が圧倒的に弱い」

こときれた少女を足元に見下ろしながら、グリークはそう告げた。

―――つよさって、なに?

こどものような儚さで、心でそう問うた。答えはなかった。

「見かけに騙され、情けをかけるなど、国への裏切りととられても仕方あるまい」

―――くにをまもることは、だれかをころすこと?

吐き気がした。
今は遠く離れている大切な誰かを傷つけたような、そんな錯覚に囚われる。
そんなアレキスの心中を知ってか否か、それでもグリークはそんな部下を無下に扱わなかった。諭して聞かせるように、淡々と言葉をつむぐ。
あるいは、それはかつて彼が乗り越えてきたことなのかもしれなかったが、今のアレキスにその可能性を考えるだけの余裕はなかった。

「我らの任務を、肝に銘じておけ。 その者が何をしたのかを“知る”のは我らではない。 陛下が黒と仰せなら、その者は罪人。“なぜか”を知る義務も必要も、我々にはない」

そしてこう、付け加えた。
これはとても名誉な任なのだ、まこと信のおける者のみが賜る、栄誉ある職務なのだ、と。

(だから、迷うな)

言外にそう告げて、グリークはアレキスの頭を軽く叩くとその場を離れた。
アレキスは憎しみが切れないまま息絶えた少女の側に跪き、宙を睨んだ瞼を閉じさせた。
結局、アレキス自身は剣を振り下ろすことができなかった。 見合った二人の横合いから襲い掛かった刃が、割り込んだ上司の剣がその命を一瞬で絶った。
しかし。 だからといってこの少女を助けたわけではない。特に理解しあったわけではない少女にとっては、憎しみの対象に変わりはないだろう。
怒りをにじませた目の色を、しばらくは忘れられそうになかった。

「たぶん、これからも・・・」

皮肉な笑いを浮かべて、自重気味に呟く。 この瞬間、青年は自らの未来を知った。

・・・繰り返されるだろう。この剣を握る限りは。

子どもの夢が風の強い日の雲のように、瞼の裏に見えては流れ、消えていった。    

 

 

←前へ

→次へ

 

→小説入り口へ