「・・・・・・お前は、なんだ?」

月明かりすら届かぬ深い森。木々の間に、二つの獣の姿が揺らめきながら何かに照らし出されている。

獣と見えたそれは、二人の人間がそれぞれ虎の姿を頭に抱いているのだった。

一人は、まるでそれ自体が一つの獣として生きているように。今にも牙を剥かんばかりに。

今一人は同じ虎でも、それは鋼鉄のように黒い光を放っている。周りの闇を従えるが如く。

あらゆる強敵に、いつも彼らは共に立ち向かってきた。

自分たちに課せられた使命は、怯むことを、引き下がることを許さない。それは彼らが英雄であり、“キング”であるからだ。

二人の抱く虎の頭は、彼らの王者の冠でもあるのだから。

だが。

リングを離れて、はじめて対峙するもの。

この目の前にいる圧倒的な存在は・・・!

光が。風が。目に見えぬ何かが。

肌を突き刺す刃となり、圧倒的な質量で押し潰す壁となり、彼らの足を大地に縫い留める。

ただそこにいる、ただそれだけで!

「貴様はなんだ!!!」

・・・・ヨ・・・・・コ・セ・・・・・・・

「何?」

・・・チカ・・・・・・・ラ・・・・・・・・・

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・なんだと・・・?」

アーマーキングが、その不可解な言葉を聞きとがめて呟く。

光と風が増した。二人は地を踏みしめ、その場に身体を支えているのがやっとだ。

ゴォーという炎の燃えあがるような音が、周囲を埋め尽くす。

殺意が膨れ上がる。襲いかかって来る、そう身構えた瞬間だった。

ドンッ

アーマーキングは予想もしない方向からの衝撃を受けて、バランスを崩すと横合いに倒れこんだ。

そこは絶壁の崖とは言わぬまでも、急な坂がかなり奥まで続いている。体勢を立て直すきっかけを掴めず、彼は坂を転がり落ちて行った。

(・・・なぜ・・・)

彼を突き飛ばしたのは、他でもない彼の無二の相棒だった。

転がり落ちて行くあいだ、頭上からとてつもない爆発音が響き渡る。



(キング・・・・・・・!)





―――アーマーキングが、全身打撲や切り傷だらけで死亡しているキングを見つけたのは、気を失ってからようやく目が覚めた、およそ6時間後のこと。

そこに敵の姿はなく、焼き尽くされたような森の残骸が広がっているばかりだった。









【STAGE 3】




クリス24歳、秋。

最初にその話を知ったのは、お昼時のラジオの放送でだった。

次いで、アニーから電話がかかってきた。驚きの声で、電話をとるやいなや一言。

「キングが行方不明って、ホントなの!?」





「メリル!」

二人が孤児院へ駆けつけたのは、ニュースを聞いた翌日。すでに噂は世界中を飛び回り、号外が駆け巡っている。

しかし、最初のラジオは行方不明と言った。某新聞の号外は事故死と書いた。テレビでは引退と報道した。

そのどれもが確たる証拠を欠いていたので、クリスにはとても一つを信じることができない。

事実を確認できるだろう場所は、一つだけ。二人はこの日の仕事を、適当な言い訳で放りだしていた。

「メリル・・・は?」

広間にいつもあるはずの、子どもたちを見守る優しい視線がない。単に席を外してるだけかとも思ったが、子どもたちに尋ねると、昨日から部屋に閉じこもったままだという。

メリルの部屋の前。そこに人がいることすらわからない、そっけないほどの静寂に悲しい予感を覚えながら、クリスはそっとドアを叩いた。

「・・・」

返事がない。本当に部屋にいるのか疑問に思ったが、もう一度だけ叩いてみた。

「クリスです。メリル・・・いませんか?」

「・・・」

5秒ほど間があいた後、部屋の中で何かが動く音がした。そして、静かに扉が開いた。

「メリル・・・」

「クリス・・・アニーさんも。どうぞ、入って下さい」

真っ赤に腫れた目をした、メリルが姿をあらわした。自分たちの顔を見て、ほっとしたような・・・それでいてどこか悲しむような表情を見せ、彼女は部屋に二人を招きいれた。

メリルの泣きはらした顔を見た瞬間、悪い予感が鋭い刃物となって胸をえぐるのがわかった。二人が来るまでカーテンは閉め切り、部屋の明かりは一つもつけていなかったのだ。

だが、それでも言わずにはいられなかった。真実を聞くまでは。

腰を落ち着けるまでもなく、後姿の彼女をまるで責めるように、静かに問い詰める。

「・・・キングは、今・・・どこに?」

メリルは首を横に振った。教えてくれないつもりなのか。ここにきてそれはない。

「教えて下さい! お願いだから・・・」

クリスは椅子に座ったメリルの両腕を掴んで、強く言った。メリルの目から、涙が溢れ出す。それでもただ黙って首を横に振るだけだ。

クリスは言った。自分でも驚いたほど、冷めた声で。

「・・・死んだ・・・んですね、あの人は」

「・・・」

「なぜ? なぜです。事故? 病死? キングが簡単なことで死ぬわけがない」

みんなを、子どもたちを・・・自分を置いて、彼が先に逝くはずがない。

メリルはしばらく黙ったあと、もう一度首を振った。クリスがもはや言葉にもならず、再び腕を掴む手に力をこめると、弱々しい声がかろうじて聞こえてきた。

「・・・わからないのよ、クリス」

驚いて顔を上げる。それは、いつも聞き慣れた、優しい慈悲の声ではない。

ただ一人の、心の支えを失った人の声。・・・クリスは息を呑んだ。

そして、メリルは淡々と語り始めた。

内容はそう多くない。

二・三日前、突然アーマーキング・・・グレイが来たこと。

キングがある事件で命を落としたこと、対外的に真実は明らかに出来ないとのこと、子どもたちにはいずれ「新しいキング」を連れて来るから、失望させるようなことは言わなくて良いなど・・・。

孤児院の運営は、キング自身が残していた財産の一部が支えてくれる。とりあえず今年一年はなんとかしのげるだろう、その間に今後のことを考えていきたいということも。

「なぜ・・・?」

メリルが誰ともなく聞いた。悲しみよりも怒りの滲んだ、引きつった声。それは何千回も繰り返した、真実が明るみにならないことに対する憤りだ。

不安はある。孤児院のことや、子ども達の未来についてのことが、おそらく脳裏をちらついてるに違いない。しかしそれ以上に底無しの喪失感と、それを埋めることのできない不条理な現実が彼女を苛んでいるのだ。

クリスはそっと手を放して、考えてみた。さっきまでの激情は、メリルの涙を見て嘘のように消え去っていた。

かわりに浮かんだ疑問。アーマーキングが、メリルにすら告げることのできなかった、真実とは何か?

はじめは事故か何かと思っていた。だが、もしかしたら誰も知らない、違う事実がある?

その可能性に思い当たり、クリスはいてもたってもいられなくなった。

「ここは頼む」

「・・・わかった」

振り返った彼がそう言うと、アニーは即座に答えた。

アニーがメリルの傍らに膝をつくのと同時に、クリスは部屋を出た。出た直後、すぐさま駆け出した。

いまさらあがいても仕方がない。終わってしまったことかもしれない。・・・それでも。

クリスは車に飛び乗り、できうる限りの早さでひた走った。

キングの相棒、親友でもあるアーマーキングのもとへ。





ジムを訪れたクリスは、はじめてアーマーキング・・・グレイ・ウッドフォールと対面した。

その時の印象をどのように表現したらよいものか。後日、クリスは「キングと、同じ匂いがしたよ」と邂逅した。

キングよりも若干小柄だが、その全身は欠点が見当たらないほど良く鍛えられており、しなやかに、そして力強く動いている。わずかな髭と、なによりその風格とも言うべき気配が、キングの相棒であることを如実に物語っているように思えた。

彼は青年のことを相棒から聞いていたらしい。特に怪しまれるでもなくすんなり通してもらえたが、トレーニングしている他の人の目の前でこの話を持ち出すのは、さすがにためらわれた。

用件を切り出せずにいる青年に気を使ったのだろう。

グレイの申し出で、二人は森に囲まれた、近くの静かな湖に場所を移した。

「最近雑誌記者だのなんだの、とりまきが多くてね。誰もいないところで話したかった」

用件を言わなかったクリスだったが、グレイは先刻承知と言わんばかりにそう微笑んだ。

クリスが自然と姿勢をあらためると、「どこから話そうか」と前置きして、英雄の片腕だった男は語り始めた。



・・・二人を呼びつける脅迫。

正体のわからない敵。

圧倒的な力。

相棒の、優しくて悲しい裏切り。

爆発と衝撃。

・・・二度と動かなくなった、抜け殻の身体。



「それは・・・結局何者だったんですか?」

クリスが震える声で訊ねると、グレイは「わからない」と、心底悔しそうに答えた。

「それを今、ひそかに調べさせている。あまり信じたくないことだが、あれは“ヒト”ではない、まったく違う生き物だ。誰に信じてもらえなくても・・・私はそう確信している」

「“人間”ではない、生き物・・・」

誰もがおそらく一笑に伏すであろう、その答えは、クリスの予想の外にあった。しかし、どれほど現実離れした話でも、それを告げるのはキングが相棒と呼んだ人だ。嘘であるはずがない。

あるいは、あまりにも普通では考えられない話だけに、逆に信じる気になったのかもしれなかった。

それにしても、もしも犯人がライバルだという人や、個人的に恨みを持っている人(キングに限って、そんなことはありえないだろうが)など、相手がわかっていれば、憎しみだろうが怒りだろうが気持ち的にとにかく落ちつくだろうに。

想いだけが先走りしていたクリスは、この事実を前にしてただ呆然とするのみだった。

グレイは、苦悩する青年をひたと見つめている。迷いをごまかすかのように、クリスがぽつりと訊ねた。

「あなたは・・・犯人を見つけたら、どうするつもりですか?」

「もちろん、答えは決まっている」

言うまでもなく、敵を討つつもりなのだ。

クリスは再び考えた。

キングとこの人が、おそらくは誰が考えても最強のコンビが、一矢も報いることのできなかった強敵。

敵を討ちたい気持ちは彼も同じだ。だが、今のクリスにはなんの力もない。この人を手伝うことなど・・・相手を倒すとなれば、キングを上回る力すら必要になるかもしれないのに。

「・・・“キング”は、これからどうなるのですか?」

「?」

「・・・もう、死んだことになるのですか?」

その問いに秘められた思いを、グレイは確かに感じることができた。

キングは、子供たちの夢。

ある日「今日からキングはもういません」と、はたして誰がそれを打ち砕くことができるというのだろう?

クリスの問いは、むしろそれを否定してもらいたい、皆を代表しての懇願に近いものだったのかもしれない。

そして、そういうファンがいるからこそ、グレイは相棒が死したことをすぐに公にはできないと、ジムのオーナーに必死に説いたのである。

「今はまだ、“生きて”いる・・・だが、このまま誰も、何もしなければ、いずれはそうせざるを得まい。そして私はアーマーキングであって、キング本人ではない・・・残念ながらな」

アレックスは死んだ。しかし、誰かが受け継ぐことで“キング”が再び息を吹き返すことを、暗に示唆しているのだ。

生前、相棒が冗談めかして漏らしていたことがある。「クリスなら英雄になれるかもしれないんだよ」・・・ この青年にも、素質があると言いたかったのだろう。グレイは、それに賭けてみたいと思っていた。

クリスは、目の前の剽悍な顔立ちが、真摯になって語りかけるその意味をちゃんと理解した。

その瞳が自分を真正面から見据えている、その意味を。

だが。

自分が、あの人に代わって“キング”になる? 

彼にとって途方もない話に、返事ができようはずもない。かろうじて、こう答えるのができるだけだった。

「・・・・・・時間を、ください」





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