| [ 3 ] やがて緊張の糸がほぐれ、アレックスは部屋の鍵をかけ、脇差を懐に忍ばせつつ、シーツの中に潜り込んだ。 それでも、簡単に眠れるはずもなく、目を閉じたままじっとしていた。 すると、不思議と音だけがよく聞こえるようになって、その音が逆にアレックスの眠りの邪魔をする。そんな時、とりわけ外からの声がよく聞こえる。二人の男達が話す声が。 「おおジェイク。今まで元気していたか?」 「ドナルドさんよ。あんたが帰ってきてから早速いやな事が起こり始めたぜ。それもあんたの持つあれのおかげかね?こちとら子分の一人がたかがガキ一人に右手を斬り落とされたんだ。うれしくって泣けてくらあ」 アレックスはぎょっとした。最初の人物は確かにジェイクと言った。そしてその話し相手はドナルドと言った。 ドナルドとは、プロヴィデンス号の乗員で、確か宣教師として倭国に渡ってきた人物だ。性格が非常に穏やかで、クライネ教のことを一から十まで教えてくれた人だ。容姿からして、とてもジェイクのような人間とつるむとは思いがたい。 しかし、話し声がそのドナルドと一致していて、結局は本人の声だという結論に至った。 「右手を斬り落とされた?薪割りの薪にでも手を突っ込んだか?」 「斧なんかじゃねえ。ありゃ確かに剣だ。ガキが持ってた剣の切れ味が恐ろしくいい」 「ほお、では相手は巨大なカミソリでも使っていたのかね?」 「ふざけんな。あんななりをしたガキは恐らくあんたの船に乗って来た輩だろう。今までそんなヤツはこの町にはいなかった」 「そうだとして、それはわたしの責任ではないな。君の子分も運が悪かったんだろう。もしそのガキがアレックスという名前だったとしたら、そいつは相当の手練れだ」 「まさか?」 「オーギュストと肩を並べられるほどの実力だ」 「ちゃんと見てたんだろうな?確かな情報か?」 アレックスは自分が狙われているんじゃないだろうかと思ったが、それは見事に的中することとなる。 さらにドナルドは驚くべき事を口にする。 「ジェイク、おまえの言うあれはだめだった。いたずらに民の心を弄びかねん。あのおかげで私は倭国から狙われたあげく、やっとの思いで脱出できたのだ。倭国の信者の心はすでに神に対する信仰なんかじゃなく、将軍を倒す反発力となって内紛まで始めるに至った。 あんな書をどこで手に入れてきたか知らんが、あれはクレルフェルトまで持ち帰る。法術院で中に秘めた力を見極めるまでは使うべきではない。リスクが大きすぎる。副作用なのか、あれには必ず不幸がつきまとう」 「面白かったんだろ。あんた達が欲しがってた民の心とやらが自由に動かせたんだから」 「そう感じたのは最初だけだ。彼らは自分の教えが公に認められないことに憤りを覚え、その力のベクトルはすでに信仰ではなく、将軍へ向かっていた。あの勢いは国をも滅ぼしかねん」 「いいじゃねえか。国が滅んでしまうのも神の意志だと、そう言い聞かせてやれば信者も喜んで死ぬって。そんなに気に病むなよ。さ、早く部屋に帰って寝な」 なんということだ。内紛のきっかけ、つまりクライネ信者による造反は彼によって仕組まれたものだったのか。 しかし、ドナルドの持つ書とは一体どんなものなのだろう。民の心を自由に動かすものだそうだが、もしそうだとしたら、彼らはいたずらに将軍やそれに反発するクライネ信者の村人の命を弄んだことになる。 それがなければ、義父を殺すことはおろか、戦も起こるはずもなく、桐子に悲しい思いをさせずに澄んだのかも知れない。 しかし、今更になってあの頃に時間を戻すことなんてできるわけがない。あいつのせいで、あの書のせいでこんなことになったのなら、ヤツを倒し、力ずくでもあの書を奪って燃やしてやる。どうせ一度は死にかけたこの身だ。 あの戦で死んでいった者達のため、そして留学の夢を裏切られたあの人のためにも、これ以上好きにさせてなるものか。アレックスは決心した。 翌朝、寝台から飛び起きると、ろくに朝食も取らずに、昼食がわりの保存食だけを受け取ると、宿屋の主人にドナルドの所在を聞いた。しかし、もう彼はここにはいなかった。早朝、馬車でヴァレンへ向けて旅立ったのである。 しまったとばかりに、アレックスはドナルドがくぐっていったであろう町の門目指して疾走した。そして、通りの角を曲がった途端、大柄な人に出会い頭にぶつかった。 「す、すいません…オ、オーギュストさん?」 頭を抱え慌てて謝るアレックスが見た人物は、紛れもなくオーギュストであった。 「おう、アレックス、どうした、そんなに慌てて?」 オーギュストが首から提げているお守りを見て、アレックスは思った。彼にすべてを話すことできない、と。 「あ、あの、クレルフェルトはどっちですか!?」 とっさに変な問いかけをしていた。下手な誤魔化し方かもしれない。ほとんど苦し紛れな質問をオーギュストに投げかけた。 「それならあっちだ」と、アレックスが向かっていたのと逆の方向を指さした。さらにオーギュストは「クライネのことなら、シェランのテレジアス家を訪ねてみろ」と付け加えた。 すみませんと一礼しつつ、踵を返して少年は走り去る。その背を見送る中年の後ろからしわがれた老婆の声がかかった。 「アレックスだって?」 「いい名だろ?俺がつけてやった」 「忘れられた古代王朝の英雄、アレックス・クラヴィエのつもりかい。」 「そうなって欲しいね」 「そんなことより、あんたに仕事持ってきたんだよ。聞きに来な」 「はいはい」
―― 完 ―― |