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「・・・・で?」
傾いた陽射しの射し込む部屋。
リフィーナ―――アレキスの心ではいつまでも幼なじみの少女も、実際のところもう少女ではない―――は、長い沈黙のあとであらためて聞いた。
青年はそれには答えない。再び彼女に背を向ける。
リフィーナは肝心なことは何一つ聞かなかった。 仕事の内容も。婚約=iとしか表現しようあるまい)のことも。
だが彼女の父は情報に長けた、つわものの商売人だ。その表情から見ても、知らないことではなさそうだった。
・・・・少女が好きだった。
いや、好き嫌い以前の話で、自分にとって少女は物心ついたころから不変の存在だった。
だが、それでも例の婚約話を蹴るなんてもってのほかだった。 理由は、アレキスがヴァレンの民であり、聖堂騎士として国に仕えている。それだけで十分すぎた。
いずれにしろ、今回の任務には年単位で費やさなければならない。 長い間家を空けることに・・・・側を離れることになる。
そして、リフィーナもすでに25だ。 絶世の美女とは言い過ぎだろうし、少々気も強いが、街で指折りの綺麗どころといえば文句なしに通用するだろう。そんな女性を、世間が放っておくとも思えない。
実際、彼女の父親がそれなりの資産家であることも手伝って、今でもそういった手合いのアプローチには事欠かないのだ。 これだけ状況が揃っていれば、嫌でも事態は今までと違う方向へ傾くはずだ。
・・・・何も言わなくて良かった。
自分の優柔不断さをどこまでも棚上げして、心からそう安堵した。
一方で、リフィーナもアレキスの置かれている立場というのはよくわかっていた。わかっているが、どうしても言わずにはいられなかったのだ。
仮に、心に従って国に逆らったらどうなるか・・・・さすがのリフィーナも想像するのが精一杯で、それを強要するなどできはしない。 彼女自身も、同じようにヴァレンの民だったから。
アレキスはどこまでも返事をしない。頭の中でひたすら繰り返される、唯一の言葉。
母を守るため。 リフィを守るため。
母を守るため。 リフィを守るため。
母を守るため。 リフィを守るため・・・・。
もはや微動だにしない青年の背中を見て、リフィーナは握り締めたこぶしの力を抜いた。 永い長い沈黙の後、アレキスの背中で扉が開く。そして閉じる音が、青年の耳で何度もこだました。
「・・・・神はひとにつばさを与え賜う・・・・」
一人残された部屋で、つぶやくようにアレキスは音を紡ぎだした。
それはヴァレンの歌。神を称える詩。
神はひとにつばさを与え賜う
天へ還るはばたきは父への祈り聖なる父の第一声は、翡翠のいろで大地を染め上げた
聖なる父の涙は、水晶のかがやきで世界にひかりをあたえた
聖なる父の灯した火は、ありとあらゆる器の命となった現世は神の夢まぼろしなれば、
せめて我らのつばさで ひとときの癒しを与えたまえ・・・
・・・青年はうたを途中でやめた。
閉じた扉、小さな夢、重い剣・・・なにもかもが悲しかった。
そうして、生まれてはじめて神に祈った。
心から。
この夢が、早く覚めてくれるように、と・・・・
どのくらいの間、身じろぎもせずそうしていただろう。
ふと我に返ったのは、彼を呼ぶ声がした時だった。
「アレキス、ディクトールさんが見えてますよ」
母の声だ。ディクトールとは彼の同僚の名。これから、任務を共にする者だ。
もう、他に何かをする時間は欠片もない。 そのことを喜ぶべきか否か、釈然としないままアレキスは荷物を担いだ。 最後に、剣を拾う。
・・・・考えることは、やめたはずだ。遥か昔に。昨日までと、何が違う?
腰におさめ、誰ともなく一人深く瞑目した。 それが彼の、別れのあいさつだった。
窓の外の太陽は唯一青年の涙を知りながら、昨日と同じように、音もなく輝いている。
To be contined “女王の凱旋”