夜明けの光

 

愛用の鎌にすがりつくような体勢で、彼女は座り込んだまま静かに待っていた。
まるで恋しい相手を求めるように時間はとても長く感じられ、ただひたすら待ち焦がれている。
今まで何度も何度も対峙してきたが、今度こそ決着をつけなければならない。
どちらも、勝つという選択肢しか許されない闘いを。

―――あいつを殺せ

地上の覇権などに興味はなかった。神々の確執も、神々同士で好きにすればいい。
自分を生んだ男に、忠誠を誓ったわけでもない。
ドルアーガの陣営に与した、その理由はただ一つ。

―――影のまま消えるのは嫌か?

ほんもの
あの女神が来る。

―――あいつの力を取り込めば

かつてはドラウニヒトと呼ばれていた、あの男が言った。
ワルキューレの名を冠する、正義の女神。
自分は、その「影」だと・・・「ツクリモノ」にすぎないと。

―――お前は未来永劫、新たな神として永らえることができるだろう

あれを捕らえ、そのすべてを手に入れること。
名もなき自分が、名のある自分になるために。
輪廻を断ち切って、初めてこの世に存在価値が生まれるのだ。

「・・・来ましたね」

輝く気配が近づいてきたのを、立ち上がって出迎える。 不思議と心は穏やかだった。光を知らない黒い瞳は、むしろ微笑んでるようにすら見えたかもしれない。 相手も彼女の姿を認めると、落ち着いた様子で、

「ケリをつけようか」

そう一言言うと、一歩引いて剣の柄に手をかけた。
彼女も応じて、無造作に鎌を構える。 言葉を交わす必要はなかった。

天に太陽は二つと存在しない。
それがさだめならば、自分が滅びるか、あの者が滅びるか・・・それがすべてだ。

「はあっ!」

ブラックワルキューレは漆黒の鎌を握りしめ、光の女神へと打ちかかっていった。

 


戦いは、いつ果てるともなく続いた。

後ろに飛びのき、神速の動作で放たれる矢を振り回した鎌の風圧ではじき返す。
その勢いで生じたかまいたちがワルキューレに襲い掛かるものの、ふわりと空高く飛んでたやすくかわされ、宙から振り下ろされる光の刃を、今度は逆手に持ち直した鎌の柄で受け止める。
反発する属性の力がぶつかり合う。衝撃が、火花となってはじけた。
攻撃を脇に上手く流し、返しの鎌がワルキューレの頭の後ろから襲いかかる。足をつけたと思う間もなく、地に伏して紙一重で交わした女神は、そのまま下から剣をすくい上げるが、彼女は振り回した鎌を再びひらめかせて、湾曲した刃で受け止め、受け流す。
黒く輝く翼を一瞬だけ羽ばたかせ、先ほどのワルキューレと入れ替わるかのように上空から鈍器となる柄の部分を叩き込んだ。
仰向けに倒れこんだまま、剣で受け止めたワルキューレと競り合いになる。だが、これは上を取った彼女のほうが断然有利だった。ぎりぎりと、確実に女神を追い詰めてゆく。

「サンドラ!」

押されていた女神がそう叫ぶと、横手から現れた緑の精霊が彼女に向かって手にした武器を投げつけてくる。いつもの彼女なら無造作に叩き落とすことができるだろうが、彼女の武器はまだ女神の剣と交わっている。

「・・・くっ!」

押し切るのを断念した彼女は再び空に舞い上がり、そのまま後ろへ距離を取る。その隙にワルキューレも即座に姿勢を立て直す。
その黒い瞳は何も映していないにも関わらず、ブラックワルキューレは間違うことなく女神と真正面に向き合っていた。緊張感だけが再び高まってゆく。
第三者がこの場にいたら、その張り詰めた空気だけで身動きが取れなくなるだろう。
だが二人はまた、ごく自然にふっと動き出したかと思うと、瞬く間に距離を詰めて必殺の一撃を繰り出していた。一振りで相手を倒すだけの殺気を備えながら、踏み出す一歩の気配すら完璧に殺して。
位置が入れ替わり、黒髪と、白い衣装の切れ端だけが、音もなく宙に舞った。

「さすがですね」

金属鎧よりもなお堅固な、神の加護を得ている衣装を容易く切り裂かれた女神は、その言葉に不敵な笑みを浮かべた。

「お前もな」

光の女神と言えども、その本性は闘いにこそある。
力を存分にふるえること。死闘の中ですら、そのことに愉しさを覚え、ワルキューレの闘気をさらに高めてゆく。
その気に共鳴してか、彼女自身もまた、内側から湧き上がるものを感じていた。
それは憎しみでも怒りでもなく・・・分かたれた魂の欠片が、一つに戻ろうとしていることへの悦びなのかもしれなかった。

―――次の一撃で決まる。

再び睨みあった二人は、無言のうちに「その時」を確信した。
次に互いの武器を振るった後、堪えたほうがこの死闘の勝者であると。
相手のすべてを飲み込むだけの力を、注ぎこめるかどうか。
二人は呼吸を整えて、今まで彼女らを勝機に導いてきた、愛用の武器に気を集中させていった。 光と闇、それぞれの色を纏った力が、武器に収まりきれず溢れ出してゆく。

永遠にも似た、短い時の終わり。

その刹那、二つの刃が同時に閃めき、解き放たれた気が世界中へと轟いた。

 

ワルキューレは、陽炎のようになりつつある漆黒の分身へと歩み寄った。
魂の気配は、ひどく稀薄なものになってきている。
憐れみの表情を浮かべた女神は、ほとんど重さの感じなくなったその身体を、そっと抱き起こした。
その表情は眠りにつく直前のような静けさを湛えている。まぶたが震え、うっすらと開きかけた瞳は、確かにワルキューレの姿を・・・最初で最後の光を、映していた。

・・・光と闇が交差し、時空にすら亀裂が走りそうなすさまじい撃ち合いは、一時はブラックワルキューレのほうに形勢が傾きかけた。
ここは、光の女神の属する世界ではない。魔軍の侵攻するオーンと地上は、むしろドルアーガの領域に近く、人間と違って世界のあらゆる存在から力を得られる神々にとって、その差は致命的とも言えた。
だがワルキューレの深層の力か、はたまたイシターあたりが何らかの手を貸したのか。
突然この暗い世界の天(そら)が輝き、神々しい気配があたり一面を満たした。ワルキューレが己の剣を高々と掲げると、その光の力を賛美するかのようにいっそう刀身が輝いて、剣はその想いに応えた。
ブラックワルキューレの放つ闇のオーラのすべてを打ち払い、真っ白く染め上げられた空間に、天高く舞い上がった女神から振り下ろされた無数の剣筋は、光の軌跡を描いてブラックワルキューレの身体へと吸い込まれた。

内側から満たされる、浄化の光。
それが指先にまで染み渡って行くのを感じた時、彼女は勝負に負けたことを理解した。
魂の色が徐々に薄められてゆく。諦めと共に、深く深く息を吐いた。

―――消えるのは、わたしのほうか・・・

光が身体中に満ち、すぐに消えるかと思いきや、傷を受けた箇所に痛みを覚えて思わず眉をしかめた。

―――幻のような存在の自分に、この消える間近になって、痛みをまだ感じるとは。

皮肉めいた現実に自らを嘲笑しながら、彼女はかすかに目を開いた。まぶしい光が眼前にあって、目を細める。それが光の女神が放つ輝きだと理解した時、彼女は初めて視力を得ている自分に気付いた。
抱き起こされたらしいことを気配で知った彼女は、そのことをとても不思議に思い、残された力を振り絞ってもう一人の自分を見た。
目を凝らして光の間から垣間見える表情をうかがう。そこにいたのは勝者としての自信に満ち溢れた戦士ではなく、悲しみの入り混じった、慈悲の女神だった。

―――あなたは喜ばないのですか? 勝利を。
・・・わたしが、消えることを。

「私は、どうしても負けるわけにはいかないかった」

凛とした声が降ってくる。その言葉一つで突き放されたようなような気がして、彼女は諦めたように目を閉じた。見慣れた暗闇が、すべてを元通りに還すべく、彼女を包み込む。
もうあとは消えるだけだ。負けた者に言うべき言葉など、何もあるまい。

「だが、それはお前だって同じだったはずだ。お前の力はもともとは私の力だが、お前は私じゃない」
「・・・?」

遠のきかけた意識が、予想もしなかった話にかろうじて踏みとどまる。
言葉を紡ぐ相手の顔が無性に見たくなり、最後の力を振り絞ってもう一度うっすらと目を開いた。

「お前はお前だ。力が私に戻り、お前がたとえここで消えてしまっても、私は覚えている」

その言葉はありえないほどの明瞭な音で、彼女の心へと響き渡った。

「たとえ名前すらなくとも、お前は影などではない。私はそれをお前に伝えたかった」

どちらかが消えなければならない運命だったが、お前がここにいた事実を、私の中から消すことはできない―――。

ワルキューレはそうはっきり告げると、分身の顔をのぞきこんだ。
その真剣な眼差しに、嘘偽りがないことを疑うまでもなく悟らされる。

透明に近づきつつあるブラックワルキューレ。その瞳から、涙が零れ落ちた。

―――ああ、そうか。わたしが欲しかったものは・・・

「・・・間違っては、いなかった・・・」

柔らかな笑みを浮かべて、初めて優しげな声色で彼女の半身へと話しかけた。

「うん?」

彼女が話しかけてきたことに少し驚いたワルキューレは、真摯な顔でその言葉を聞こうと耳を傾ける。
それだけのことがどうしようもなく幸福に感じられ、彼女は最後の言葉を発した。

「・・・あなたを、消して・・・わたしは・・・本物に・・・なれる、はずだっ・・・」

ワルキューレは彼女の言葉の意味を測りかねて、無言のまま同じ顔を見つめた。
淡い最後の光が、彼女を包み込む。

「あなただけが・・・わたしを・・・・・・ここに在ると・・・・・・・・・・・」

 

消え去る瞬間に届いたのは。
たった一つ望んだ、黒い女神の願いだった。

 

 

******

 

丘の上にイナーナとワルキューレが並び立ち、世界を見下ろしている。
風は暖かく、春の花の香りを運んでくる。
魔王ドルアーガが勇者たちによって倒され、平和が再び訪れたオーンに、季節は緩やかに移りゆこうとしていた。

「そうでしたか・・・」

ギルガメス、カイ、ゼオバルガの仲間三人がそれぞれの道へと去り、最後に残ったワルキューレはイナーナに黒い女神のことを話した。
ブラックワルキューレが消滅したあと、ワルキューレには本来の神力が完全に戻った。追放された天界へ、いつでも帰ることができるだろう。

「このまま、オーンへ留まっていただくわけにはまいりませんか?」

名残惜しそうに、イナーナが先を見据える女神の横顔を見つめる。
イナーナにはこの後、荒れたオーンを蘇らせるための長い長い時をかけた、王女としての使命が待ち受けていた。
ドルアーガの配下だった魔の軍勢はもう存在しないものの、荒らされた大地はすぐには戻らない。失われた多くの命を弔いつつ、それを取り戻してゆくのが、イナーナの新たなる使命である。
女神としての力を貸してほしい気持ちが、ないといえば嘘になる。
だが、それよりも旅を共にし、生死を分かち合った仲間としての別れがたい気持ちと、これから一人で歩んでゆかねばならない心細さが圧倒的に勝った。人としては類まれなる力を持つイナーナも、巫女カイと同様に、まずは一人の女性であったのだ。
ワルキューレは笑って頭を振った。
王女を見捨てるわけではない。だが、これからイナーナに必要なのは自分ではないことを知っていた。
強大な魔を倒すための英雄は、もういらない。
この荒れたオーンでも、まだ生き延びている人々が大勢いる。王女を慕い、その導きに従おうと信じる人々が大勢いる。
イナーナがワルキューレと共に彼らを支配するのではなく、彼らと共に歩むことこそ、イナーナの行くべき道であろう。
そしてその道は、必ずやイナーナの望む未来へと繋がっているであろう。ワルキューレはそう確信していた。

か弱き人には敵わぬ恐怖と絶望・・・ドルアーガのような、圧倒的な存在が現れた時こそ。

「その時は私の名を呼ぶがよい」

ワルキューレは、人の小さな力を信じている。小さな力の集まりを信じている。
その人々が、本当に神を求めて祈る時が再び来るのなら。

「世界のどこにいても、助けに来る。そして、必ずや正義を成すであろう」

あの、もう一人の自分と一緒に。

ワルキューレは心に眠る「彼女」の面影に語りかけて、これから巡るであろう美しい世界を、まぶしそうに見つめる。自分の瞳を通して、彼女の魂に世界の優しい光が届くようにと一人願う。
イナーナの返事を待たずに、その姿がふっと掻き消えた。

 

王女が女神を探して見上げた空は、どこまでも広く、どこまでも青い。

 

    〜fin〜
   

 

 


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